3.11 被災地を巡る旅−1回目−
 2011年の旅のレポートです。
  行革110番のブログをまとめました。

○旅の目的
 7月31日(日)〜8月9日(火)まで津波の被災地、福島第1原発の通行止め、
 そして、原発関連の施設を回ってきた。

 旅の目的は「被災地での原発・放射能の影響、そして、復興」とした。
 
 下の写真は、福島第1原発の国道6号線の南側「双葉郡楢葉町-
Jビレッジ前」、
                    北側「南相馬市原町大甕
(おおみか)」
                 
国道114号線「双葉郡浪江町津島 津島中学校前」
 の通行止め 3ヶ所だ。

   
    (↑ 8/1 国道6号線 福島県双葉郡楢葉町 Jヴィレッジ の 通行止め)

   
    (↑ 8/1 国道6号線 福島県南相馬市原町大甕
(おおみか) の 通行止め)

  
    (↑ 8/9 国道6号線 福島県双葉郡浪江町津島 津島中学校前 の 通行止め)

 「立入禁止」の立て看板があり、車に警察官がすぐに寄ってきて事情を聞かれる。
  テレビと違い緊張感が漂っている。

 ルートは、7/31 東京-水戸-東海村(アトム館、科学館)-福島県/湯又、
      8/1  湯又-ひたち-小名浜-広野-小野-飯館-南相馬
      8/2  南相馬-仙台空港-若林区-仙台
      8/3  仙台-宮城野区塩竈-石巻-女川-大川小学校-志津川-歌津-気仙沼
      8/4  気仙沼-陸前高田-大船渡-綾里-三陸町-釜石-大槌町-陸中山田-宮古-鵜の巣断崖-田野畑村
      8/5  田野畑-普代村-久慈/警察-八戸-六ヶ所-三沢
      8/6  三沢-奥入瀬渓流-田沢湖-角館-横手-湯沢-泥湯
      8/7  泥湯-川原毛地獄-地熱発電所-川原毛大滝-湯沢
      8/8  湯沢-山寺-蔵王-米沢-喜多方-赤湯
      8/9  赤湯-波江-入水鍾乳洞-東京
 走行距離は「2,428km」。国道から外れて海岸線を走った。また海岸線の道路は復旧していない
            個所が多く「通行止め」になっており、、引き返すことが度々あった。

 写真を使いながら、肌で感じたことを何回かに分けて報告する。


○津波の被災地、福島第1原発  その1
   −7/31 東海村−


 東京→水戸→東海村(茨城県)→矢祭町(福島県)→湯岐(福島県塙町)
 
まず、原発・放射能の基礎知識を入れるため東海村を目的地とした。
 
 
◎原子力平和利用という嘘のコピー!!
  日本で最初の原子炉がある東海村、アトムワールド、原子力科学館がある。
  東海村に入ると
    
原子力平和利用推進 核兵器廃絶 
        宣言の村/東海村
  と書かれた看板(
)が目に飛び込んできた。
  
  
  被爆国日本なので「核兵器廃絶」は当然!! だが、「
原子力平和利用を推進しよう」と
  の文字を対比することで、
  
<平和=安全>
  
と錯覚させられていたのではないだろうか。
  この
原子力平和利用と言う言葉、ネットで調べると
    
  1953年にアイゼンハワー米大統領が国連で表明した新方針。
       核技術を米が独占できなくなった状況を受け、医療や発電など
       原子力の平和的な利用を国際的に進める方向へ転換した。
       日本での原子力推進が加速するきっかけになった。
    
と書かれていた。

 
◎東海村の今後の研究課題は「原発の廃炉!!」だ
  東海村にある施設(
)が日本の原発の中枢機関だろう。
   
   上(
)の写真右下の説明文が下()、
   原子力科学研究所には「原子炉
安全性研究炉」「安全性研究用施設」がある。
   頭に「
安全性」と言う文字を付けているが、原発は「危険」ということを証明している。 
   
   
 
◎「放射能Q&A」
  3/11の福島原発事故を受けて「
放射能 Q&A(↓)」なるパネルが貼られていた。
   (拡大版←はここをクリックして下さい)
   
  パネルの脇に、Q&Aの詳細(A4版-20ページ)が置かれていたが、
   「過度に心配する必要はありません」
   「・・量は少ないと考えられます。したがって・・・健康に影響を与える心配はありません」  
   「・・・、事故が大きく拡大しない限り健康への影響を心配する必要はありません」
  と、日本原子力研究開発機構の苦しい解答ばかり。
  嘘つきの言うことなど、もう誰も信じないだろう。

 ◎アトムワールドは廃止すべきだ!!
  
原発の安全性子供のころから洗脳?するために作られたアトムワールド
    ウラン→
ウラン坊や
    プルトニューム→
プルト君
    高レベ放射性廃棄物を捨てる(保管)為に使うガラス→
ガラスの精
    最も危険とされる高速増殖炉の冷却剤のナトリウム→
ナトリウムちゃん
    
(↓ アトムワールドのパンフより)
    
  
 
◎「もんじゅ」は廃炉??遺影のようだ。
  同じ日本原子力研究開発機構の事故続き高速増殖虜炉「もんじゅ」、
  その展示写真(
)が
  
海水浴場の後ろに写る「もんじゅ」の写真
  まるで「もんじゅ」の遺影のようだ。
(写真2段目がもんじゅの写真)
   

 
◎原子炉の数,見やすいパネルを見つけた。
  地震が多く、狭い日本に稼働中
(赤のランプ)が54基、
             建設中が2基
(青のランプ)
             建設準備中が10基
(黄のランプ)
  予定通り行けば66基だ!!
  (拡大版←はここをクリックして下さい)
   

 次回は福島の南相馬で感じたことを。


○津波の被災地、福島第1原発  その2
   −8/1 福島/南相馬で桜井市長と−


 湯岐→勿来→小名浜→(国道6号線)→楢葉町 Jヴィレッジ の 通行止め
 →広野→常磐自動車道→いわき経由小野→(349号線)→飯舘村
 (県道12号線)→南相馬→宿(ビジネスホテル六角)
 
 
◎酪農家への保証を早くしないと。
  
福島の内陸部を走っていると、牛舎に牛、そして牧草地の刈り取りが行なわれている。
  出荷できない酪農家のことを思うと、原発に怒りが込み上げてくる。
   

   

 
◎小名浜港の現状は
  
復旧は早く行われていると感じた。しかし、車から降りてよく見ると、
  とりあえず直した!!と言う程度。
  日本中が後押ししなければ、痛感した。


  
小名浜港の埠頭沿いの道路の真ん中でけ復旧しているが、・・・。
   

   
 
  
そして、道路沿いには瓦礫が整然と積まれていた。
  この瓦礫、国が動かなければ・・・。いつ迄放置させられるのだろう。

   

   

 
◎頑張っている店!! 嬉しくなった。
   

     
   
  
小名浜港/岸壁にある魚市場に行くと、食堂「営業中」の看板が。
  11時、腹は空いていなかったが、嬉しくて昼食を食べた。
  食堂を出て、ふと道路の向かいを見ると「
細々と営業中」とかかれた店がある。
  また、嬉しくなって入った。「ふじみつ商店(福島県いわき市小名浜字栄町4−9)」
  津波で被害を受け、冷蔵庫等々の運び出しに相当の費用がかかったと話してくれた。
  「
がっんぱっぺ小名浜」の看板の通り、高齢のご夫婦が頑張っている姿をみて
  本当に嬉しくなった。


 
◎国道6号線の復旧は不可能だ。
   
国道6号線/立入禁止個所まで車を走らせることにしていた。
   「広野」を過ぎると交通量がめっきり減ってきた。
   やっと立入禁止の看板が見えてきた。テレビでよく見た場所だ。

     
   
すぐに警官がよって来た。
   「南相馬」に行きたいと言うと、
   「
脇道はないので、「いわき」まで戻り、郡山-福島経由で行ってほしい」という。
   仕方ないので、常磐高速でいわき(30km)まで戻り→小野から349号線を北上した。   
   国道6号線は
福島第1原発からまで約2.5Km しか離れておらず、諦めるしかないだろう。
   
   
全村避難した飯舘村、家は全てカーテンがかかり、寂しくなった。
   この県道12号線が6号線の抜け道になっており、交通量も多く、
   ほとんどの車がスピードを出して抜けていく。
   飯舘村の生活道路には、救急車と消防車が「カーン・カーン」と
   鐘を鳴らし警戒(
)していた。
   
 

  
やっと夕方、目的地南相馬市についた。
  
南相馬市の桜井市長に「職員と一緒に食べて下さい」とラスク(焼き菓子)を以前から送っていた。
  今回は宅急便代をうかすために、直接、秘書課にもっていくことにしていた。
  丁度、秘書課の入り口で桜井市長にバッタリと会い、手渡すことが出来た。ラッキー!!

   
   
   
宿で手配をしていなかったたので、桜井市長から友人が経営している
   ビジネスホテルを紹介してもらった。
   このビジネスホテル「六角」、福島第1原発から20kmの警戒線から200メートル
   しか離れていない。4/23に田中康夫さんと一緒にきた災害ボランティアの拠点だ。

   

   
夜、宿の窓から外を見ると、警戒線で通行止めを行なっているパトカーの明かりがを
   みえる。

   

   
夜、仕事を終えた桜井市長が「六角」に来てくれ、
   津波、放射能、避難、マスコミ、等々の話を、直接、聞くことが出来た。
   桜井市長も被災者、ご自宅は20km圏内、ご家族は仮設住宅に入っているという。
    
被災した南相馬市に対し、外国の特派員は入ったが、放射能を怖がった
     大手マスコミが現地取材を行なわず、すべて電話取材だったという。
     また、牛肉の稲わらが問題になったとき、まるで該当農家を犯人探し紛いの
     取材を行なっていたと言う。

   

○津波の被災地、福島第1原発  その3
   −8/2 写真の洗浄ボランティア−


 南相馬で写真の洗浄ボランティア→6号線を北上-若林区-仙台
 
 
◎桜井市長の朝のマラソン、被災者への鎮魂!
  
桜井市長が毎朝海岸へマラソンをしている、と聞いて、お邪魔した。
  津波の犠牲者への鎮魂のため、小さな貝殻を拾っていた。

   
  
 
◎流失物洗浄ボランティア
  
海岸からの帰り道で、泥まみれになっているアルバムを見つけた。
  今日、流失物(写真)洗浄ボランティアを予定していた。
  アルバムには、家族の楽しそうな写真がたくさんある。元気でいることを祈った。

   
  
  
南相馬ボランティアセンターで手続きをして、津波で泥まみれになった
  写真の洗浄をやらしてもらった。。
  泥を水で落し、泡の洗剤で丁寧に汚れを落とす。祈るような気持ちでだ。
  印画紙が劣化していると、丁寧にしているつもりでも、写真の顔が消えてしまう。
  涙ぐんでしまうことが度々あった。
  

 
◎仙台空港の海岸側は・・・。
  4時すぎに写真洗浄ボランティアが終了、仙台に向けて6号線を北上。
  亘理町付近から右折して海岸沿い、仙台空港の東側を走る。
  3/11の仙台空港の映像を思い出した。
  
  


○津波の被災地、福島第1原発  その4
   −8/3
 仙台から気仙沼

 仙台→宮城野区→塩竈→石巻→牡鹿半島→女川原発-(398号)→大川小学校
 →志津川→歌津→気仙沼
 
 
◎解体を待っている家々
 
 宿を出て、宮城野区の海岸沿いへ。通行止めで まわり道 へ。
  家(
)は建っている、しかし、中は空っぽ。
  解体を待っている家々がず〜と続く

   
    

 ◎気仙沼 蒲鉾/白謙がやっていた。
   友人から紹介された蒲鉾屋/白謙、店は再開されていた。
   蒲鉾を昼飯にした。
   

  しかし、石巻魚市場の斎太郎食堂はこの有様だ。
   

  ビルの一階に乗用車が1台押し込められ潰れている。
   

 ◎女川原発へ
  398号線から渡波を右折して牡鹿半島、県道2号線-県道41号線で女川原発へ。 
  この県道41号線コバルトラインと書かれている。
  まるで、原発を自慢しているかのように
    
  女川原発付近の状況は、このありさまだ。    
   
        
   
  
  女川原発に併設されている女川原子力PRセンター、震災を理由に閉鎖されていた。
  それにしても 大事故にならなくてよかった。
   

 ◎牡鹿半島を出て国道398号線を北上、津波のすごさを再認識した。
    
  観光バスが屋根の上()に。
   
 ◎北上川の河口近くにある大川小学校。
  
児童108人のうち74人が死亡・不明に。
  
すぐに避難していれば助かっていたはず、校庭に集合して40分、教師に殺されたと同じだ。
  線香を上げさせてもらった。
   

  大川小学校の脇の北上川の橋、一部橋桁が落ちていて通行止め。
  その橋桁が上流部に残骸が横たわっていた。
  仕方がないので北上川の測道を走り、やっと古川橋で川を渡り志津川へ。
   

  ◎気仙沼まで津波の爪痕が。
   
   

 ◎気仙沼で泊まり。
  日も暮れてやっと気仙沼についた。ホテルは満室。駅から港に向かう道路沿いの古い旅館に入った。
  夜、港まで歩いていく。途中から真っ暗、津波で壊れた建物ばかりだ。
  建物の間に「大漁旗()」が干してあるところがあった。早く海上で棚引いてほしい。
  

 
 海岸沿いの全てが壊滅、ショックの連続だった。

○津波の被災地、福島第1原発  その5
   −8/4
 気仙沼〜田野畑村
      気仙沼→陸前高田→三陸町→釜石→大槌→宮古→田老→鵜の巣断崖→田野畑村
        (南三陸町は宮城県本吉郡、三陸町は岩手県大船渡市三陸町。現地で始めて知った)

    −8/5 田野畑村〜六ヶ所村
      田野畑村→久慈→八戸→六ヶ所村→三沢

 ◎平らになってしまった町並み
 
 気仙沼をスタート、陸前高田〜三陸町〜釜石〜宮古と津波の爪痕の凄さに
  ただ呆然とするばかり。途中で何回も車を留めて・・・・。
  三陸はリアス式海岸、狭い河口部分に集落がある。
  津波は、河口から駆け上がってその狭い平地部分を全部 呑み込み
  町は壊滅状態になったのだろう。
  
(国道は大きな町を除いて、海岸から離れた高台を通っている。)
  
  港から重油が流れて来たのだろう、建物はのこっているが、柱が焦げている。
   


  
国道?の交差点でも信号がない、「徐行 この先 交差点」()これが信号の変わりのようだ。
   

 ◎ローソンが(仮)営業。
 
 大槌のあたりの国道沿い、ほとんど店がない。やっと見つけたコンビニ/ローソン。
  昼飯を買い駐車場で食べた。仮設トイレが店の外にあり、多くのドライバーが利用していた。
  コンビニが一軒 営業しているだけでもホットする。
 
   

 ◎岩手17才少女殺人事件/岩手県田野畑村
 
 私の友人で警察ジャーナリストとして活躍していた黒木昭雄さんが昨年 自殺した。
  
(黒木さんとは、長野オリンピック/裏金事件(長野県調査委員会)を調査した仲間だ)
   
黒木さんは「岩手17才少女殺人事件」を独自に取材し、真犯人は他にいる。 
  岩手県警の捜査ミスを指摘し、再捜査を行なうよう求めていた。
  田野畑村には、その容疑者とされる小原勝幸の家があり、黒木さんから取材・調査に
  「後藤さんも一緒に行こう」と誘われたところだ。そこで、今回の旅の目的の一つにしていた。
  田野畑村に宿を見つけ、黒木さんの言葉を思い出しながら田野畑村を一回りした。
  しかし、黒木さんが自殺してから来ても仕方がない。
  署名簿の作成は手伝ったが、誘われたとき無理しても来ておけばよかった、と悔やんだ。
  
  この「
鵜の巣断崖」()は、容疑者/小原勝幸が飛び降り自殺と見せかけて逃走した
  とされる場所。
(黒木さんは、小原勝幸は殺されてしまっているだろう、と話していた。)
  黒木さんも何回も来ている場所だ。
  


 
黒木さん最後の映像=Uチューブに岩手17才少女殺人事件の事件の概要が、黒木さんの言葉で語られている。
 この事件 警察のデタラメさに呆れる。
  (下
の項目をクリックして下さい)
  黒木昭雄さん最後の映像-1

           映像-2
           映像-3
           映像-4
           映像-5
           映像-6
           映像-7
           映像-8
           映像-9
           映像-10
  黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」
  黒木昭雄さんの11/1のTwitter

 
◎憎い久慈署
  
翌 8/5、岩手17才少女殺人事件の捜査ミスを犯したであろう久慈署に寄った。 
 東京にも貼られている手配写真だが、あらためて久慈署で見ると、久慈署の刑事、
 そして宮古署がちゃんと捜査を行なっていれば・・・。
 
 「
警察は身内の不祥事を隠す為には、懸賞金まで懸ける連中だ。糾さなければいけない!!
 これが黒木さんの最後の言葉だ。 
    

   

 
◎六ヶ所再処理工場
  八戸まで45号線を北上し、目的地の六ヶ所核燃料基地までは338号線だ。
  6つの村が合併して「六ヶ所村」となったという。分りやすい地名だ。
  
   
   

  この六ヶ所村には、
  全国の原子力発電所の使用済み核燃料から核燃料のウランとプルトニウムを取り出す再処理工場
  
低レベル放射性廃棄物埋設センター高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターが併設されている。
  今後 MOX燃料工場の建設も予定されており、核燃料サイクルのための核燃料コンビナートを
  目指している。
  
この付近には活断層があるという説(http://www.soc.toyo.ac.jp/socio/manq-file/rokkasho-02.pdf)もある。
  活断層の上に核燃料基地、バカもいい加減にしろ。

  日本の原子力行政、
   金の為なら
 「嘘・デタラメ・隠す」
   は朝飯前。

  
   目に見えない放射能をまき散らし、
 処分も出来ない放射性廃棄物を吐き出す原発、
 地震列島=日本からなくさなければならない。



 六ヶ所村で泊まろうと思ったが、ビジネスホテルも満杯。仕方ないので三沢のホテルに泊まった。
 三沢米軍基地もあるが、六ヶ所村が近いせいか、原発関連の客で飲食街が繁盛しているように見える。
 お盆が近く祭りの練習をしている子供達、先輩達が厳しく指導していた。
 未来の子供達の為に、原発をなくさなければ!!!
 
 

 被災地を5日間見てきて、瓦礫の整理も進んできていると感じた。
 しかし、福島原発に近く放射能に怯えながら生活している方々のことを思うと言葉が見つからない。
 
取り返しのつかないことになっている。
 第1に避難、第2に保証だ。
 



○津波の被災地、福島第1原発  その6
   −8/6
 三沢〜泥湯
     三沢→奥入瀬→鹿角→田沢湖→大仙→横手→須川→泥湯
   −8/7 泥湯〜湯沢
     泥湯→上の岱/地熱発電所→湯沢
   
−8/8 湯沢〜赤湯/福島
    湯沢→天童→米沢→喜多方→猪苗代→赤湯
   −8/9 赤湯/福島〜東京
       赤湯→二本松→津島/波江(戻って)→入水鍾乳洞→小野→東京

 ◎8/6
  往路の目的地 六ヶ所村 が終わり、復路は地熱発電所がある
  
秋田県湯沢市高松 上の岱 まで直行だ。
  十和田市を過ぎ、
上の岱地熱発電所の近所の泥湯温泉に電話をすると、
  部屋に空きがあるという。予約を入れる。5時30分から夕食という。
  さこで、カーナビをセットすると約280km-8時間近くかかる計算になる。
  
(東北では、原則、高速は使わないことにしていた)
  昼飯は、走りながら団子とブルーベリー、車を走らせまにあった。
  
 ◎8/7
  泥湯温泉からすぐそばに「
上の岱地熱発電所」がある。
  道路の脇には
    
自然を愛し 緑を育てよう
     環境にやさしい 地熱エネルギー

  の看板(
)がある。
  原発近くの看板とは違い、嬉しくなった。
   

  地熱発電所(←ここをクリックすると、パンフがでます)
   

  この地熱発電所、青森県(南部)の恐山・富山県(越中)立山と並ぶ日本三大霊地の一つの
  
川原毛地獄()のそばにある。
  泊まった泥湯温泉は、2005年12月、硫化水素が吸ってで家族4人が亡くなられた場所だ。
  4人は高濃度の硫化水素ガスがたまった空洞(直径2メートル、深さ1・3メートル)に、
  天井部分の雪を踏み抜いて落ち亡くなったという。
  今は、硫化水素の危険を知らせる看板が多く立ち、事故が起きた駐車場の脇に
  慰霊碑が立っている。
  秘湯と言われるだけあって、温泉・露天風呂はナカナカのものだ。
   

  川原毛地獄を下っていくと、
野湯がある。
  滝の上流にお湯/高温の湧出地があり、高さ20m程度の滝が温泉となって滝壺へ
  
滝壺が湯船滝に打たれながら湯治?ができる。豪快な野湯だ。
  写真左側の滝に打たれながら温泉は快適だが、右側の滝は水圧が強すぎて無理。
   
   
  川原毛地獄と大滝に、高温/立入禁止と書かれ看板を乗り越えて、温泉を汲んでいる
  若者がいたが、熱ぃ〜、と悲鳴を上げていた。
  地熱発電に最適なのだろう。
  日本は温泉だらけ、高温の温泉も多く、その地下の地熱を有効利用しない手はない。
  風力・太陽光と比べ安定的に熱が得られる。
 
  ちょうど
湯沢は「七夕絵どうろうまつり」の最終日。秋田の竿燈が来るという。
  そこで、祭り見物で湯沢の泊まることにし、祭りの為の無料駐車場に車を停めた。
  車の中にベッドスペースを作ってある。
  今回 始めての野宿、学生時代の車での
日本一周ひとり旅を思い出した。
   
  秋田の竿燈も見ることが出来た。
  本場/秋田市と違って、狭い道路(片側1車線)での演技は、電線。看板の間で迫力満点。
  今回の旅で、ホットしたひと時だった。
   
   

 ◎8/8
  夜明けと同時に即席キャンピングカーから起きだして、
  近所の道の駅で顔を洗いスタートし、先月末の集中豪雨を受けた福島県西部を目指した。
  喜多方でラーメンを食べ、目星を付けていた宿に電話をしたが、
  1軒は電話が通じず、1軒は温泉のパイプの修理中、もう1軒は板前が休暇!!
  あきらめて二本松にいく途中の赤湯温泉に泊まる。
  
 ◎8/9
  旅の締めくくりに、福島第1原発の西側の警戒線(浪江町)に行くことにする。
  浪江町は、20km圏内と30km圏内に重なっている。
  二本松から459号線を走李浪江町に向かう。すれ違う車はほとんどない。
  監視カメラの看板迄ある。
   

  114号線を右折、少し走ると警戒線があった。
   
   

  6号線の警戒線は福島第1原発から20km程、この波江町の警戒線は
  道路の関係からか30kmのところに設置されている。
  (もしかしたら風向きも関係しているかもしれないが。)
  地図←ここをクリックして下さい。

  最近、米の検査を始めている。しかし、この辺りの田んぼは草ぼうぼう。
  米の作付けはできない。
   

  福島第1原発の近くにある観光地に言ってみた。から
  地図で調べると35kmほど離れたところに入水鍾乳洞がある。
  地底探検を満喫できる鍾乳洞だ。
   Aコースは明かりがある。
   BコースはAコースの奥。
    明かりがなく、水温10℃の地下水が流れる鍾乳洞をローソクたよりに進む。
   CコースはBコースの奥、
    もちろんローソクで。そして、鍾乳洞をよじ上る個所があると言う。
  恥ずかしいが、Bコースに挑戦したが、水が冷たくて途中で棄権した。
   



  鍾乳洞の入口近くの売店で、滑らない為のワラジを借り、ローソクを買った。 
  この売店のおばあちゃんから話を聞いた。
   
昔、村の若衆に原発で働かないかと話があった。仕事は原発の外の掃除。
   若い衆が行くと、外の掃除は3日間だけ、4日目から原発の中で働け、と言われた。
   断ると金は払わないと言う、仕方なしに1ヶ月働いて金をもらって帰ってきた、という。
   最近は、原発事故の作業員の賄の人(食事を作る人)をさがしている、という。
   冗談じゃない!!
  
と怒っていた。
  そして、
   
原発事故から、客はバッタリこない。
   保証金みたいなもの「2万円」をもらったが・・・。
   年寄りはいいが、若い者は・・・・。

  と、怒りを通り越し、嘆いていた。
  
 ●津波の被害(特に人的被害)は知恵を出すことで軽減できる。
  しかし、放射能被害は一度事故が起きれば手の施しようがない。
  
  なぜ、こんなに日本人は原発に無関心だったのか?
  今考えれば、子供の頃から、
    
原子力の平和利用!! 原発は安全だ!!
  
洗脳されてきた結果だろう。
  
  原発には、付属のPR施設がある。
  どの施設も、子供を対象にし、遊び感覚で
原発の必要性・安全性を教え込む。
  まずは、このPR施設を廃止すべきた。
 
  津波の被災地、そして、福島原発20kmの近くに泊まり、六ヶ所村まで出かけ、
  脱原発へ!!すぐに舵を切ることが必要と再確認した。

○最後に
   下(
)の団扇で一言。六ヶ所原然PRセンターの受付で配っている!!
   
  裏側(
)には、
   
六ヶ所村から東北に笑顔を!
  と書かれている。
   
原然よ、恥を知れ!!
   福島の悲劇を作ったのはおまえらの仲間だろう!!